東京ディズニーシーが10倍好きになる誕生秘話!
2001年に開園し、今や東京ディズニーランドに匹敵するほどの人気を誇るテーマパークに成長した東京ディズニーシー。
しかし、第2のテーマパークの構想当初の1988年時点では、東京ディズニーシーとは全く違ったテーマパークができる予定となっていました。
そんな全く違った構想当初の計画からいかにして東京ディズニーシーができたのか。そこには感動的な秘話が隠されていました。
東京ディズニーシーコンセプトのおさらい
東京ディズニーランドが「夢と魔法の国」というコンセプトなことは有名ですが、東京ディズニーシーのコンセプトは意外に知らない人がいるので、まずは東京ディズニーシーのコンセプトからおさらいしてみようと思います。
東京ディズニーシーのコンセプトは「冒険とイマジネーションの海」となっており、冒険とイマジネーションを彷彿とさせる7つのテーマポートで構成されています。
ここで注意なのが、「7つ」と「海」というワードから世界的に有名な「7つの海」を連想される方が多く、現在開発中の8つ目のテーマポートの製作に反対される方がいらっしゃいますが、実は東京ディズニーシーの「7つのテーマポート」は元々「7つの海」と対応していません。
「7つの海」というのは時代や地域によって定義が異なり、東京ディズニーシーは、大航海時代をテーマとしてポートや近代をテーマにしたポートが混在しているだけでなく、未来をコンセプトにした架空のポートも存在するため、そもそも対応させることができないのです。
その点を踏まえて7つのテーマポートについてもおさらいをしてみましょう。
東京ディズニーシーのエントランスとも言えるポートで、大航海時代の南ヨーロッパがモチーフとされています。
大航海時代の7つの海の内の一つである「メディテレニアン(=地中海)」がモチーフとなっていて、東京ディズニーシーで最も印象的なため、「7つのポート」=「7つの海」という印象を持たれ方が多いのではと推察されます。
20世紀初頭のニューヨークとマサチューセッツ州ケープコッドをモチーフとしたエリアで、現代の7つの海の定義で言うと「北大西洋」に分類されます。
20世紀のSF小説をモチーフに生まれた未来の港がテーマになっています。ここが7つの海に分類できないですね。
最近登場した「ニモ」から海を無理やり連想するとすると現代の分類の「南太平洋」ですかね・・・?
1930年代の中米をモチーフにしており、マヤ文明の文化が色濃く表現されているため、メキシコの南東部がモチーフになっていると言っても語弊はなさそうです。
そこから、現代の「7つの海」に分類すると「南太平洋」という分類になりそうです。
アラビアンナイト(千夜一夜物語)をモチーフとしたエリアで、「アラジン」や「シンドバッド」が登場します。
このことから、古代(8世紀頃)の中東からアジアがモチーフとなっており、舞台の広さや当時の定義からも「7つの海」への分類は困難です。
「リトル・マーメイド」の海底王国がモチーフとなっています。
「リトル・マーメイド」の舞台が北欧と言われているので、分類するとしたら、現代の「北大西洋」に分類できると思います。
ジュール・ベルヌの複数の小説をモチーフにしたエリアで、ネモ船長が登場する「神秘の島」にちなんで命名されました。
神秘の島というのは、古代文明都市「アトランティス」の位置だったり、「南緯34度57分 西経150度30分」の位置だったりと空想上の位置に存在しており、分類不可ではあるのですが、しいて分類するならば「南太平洋」ですね。
以上が7つのポートの概略でした。まとめてみるとやはり「7つのポート」=「7つの海」とい結びつけるのは難しいことが分かると思います。
東京ディズニーシー誕生に隠された感動秘話
ようやく本題に入りますが、この誕生秘話を私が知った経緯を先に説明しておきます。
東京ディズニーシー誕生の秘話を知った経緯
実は私は、東京ディズニーリゾートのアトラクション等々をデザインする仕事がしたくて、オリエンタルランド社に就職活動をしに行ったことがあります。
この就職活動にて、2回のテストやグループ面接などは幸運にもパスして、個人面接を行った時にヒョンなことから東京ディズニーシーの誕生秘話を知ることになりました。
オリエンタルランドの志望動機である「東京ディズニーリゾートのデザインをしたい」という話をした時に、オリエンタルランドの面接担当の方から「東京ディズニーリゾートのコンセプトやアトラクションのデザインは本家ディズニーのイマジニアが行うため、そのような仕事に携わることは難しい。ただ、東京ディズニーシーのコンセプトに関しては、オリエンタルランド社のアイデアが採用されたことはある。」という話を熱心にしてくださいました。
この話は、公式に公表されているため、実は隠されてはいないのですが、そんなこんなでその事実を知ることになりました。
初期の構想から東京ディズニーシー誕生まで
1988年に第2のテーマパーク構想当初は、米ディズニー社の案としてはアメリカ:オーランドにある「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」とフランス:パリにある「ウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク」をモチーフに「映画」をコンセプトにしたパークを建設する想定になっていました。
しかし、この案に対してオリエンタルランド社が「日本では、映画をコンセプトとしたパークはゲストに喜ばれない」と反対意見を表明しました。
この反対表明に対し、米ディズニー社の社長は、これまで練り上げてきたプランが白紙となり「がっかり」しているとストレートな言葉で表明しているため、オリエンタルランドにとってはかなりのプレッシャーとなりました。
そんな失意とも怒りとも取れる発言をした米ディズニー社を納得させる案として提示したのがロサンゼルスで建設計画が頓挫した「ディズニーシー」のコンセプトを流用しつつ、東京ディズニーシー独自のアイデアを織り交ぜるプランでした。
この案は、基本的なコンセプトが元々イマジニアたちが構想したもので、舞浜のイメージにも合致していることから、米ディズニーにとっても受け入れやすい案となりました。
東京ディズニーシーはこのような経緯を経て、2001年に開園を迎えることとなりました。
元々映画がコンセプトとして生まれたUSJは人気が出ず、映画というコンセプトから方向転換した途端、爆発的に人気が出たことを考えると「冒険とイマジネーションの海」というコンセプトへ転換してくれて良かったなと思ってます。
あとがき
本家ディズニーもプライドがありますし、壮大な規模感の決定事項ですし、東京ディズニーシーというコンセプトを本家ディズニーが認めるまでには、様々な苦労があったことが容易に想像できます。
その詳細な経緯は、当時計画に携わった方と知り合いでもない限り、表に出てくることはないと思いますが、ディズニーの映画に負けず劣らずなドラマがあったと妄想して、勝手に東京ディズニーシーの誕生秘話に感動しています笑
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